アダム・マッケイ、オスカーを獲りマーベルから全作品の監督候補と言われた男。
現役最高の映画監督といえば、誰が浮かぶだろう。
スピルバーグ?スコセッシ?それともクリストファー・ノーラン?
アダム・マッケイはどうだろう。
『マネー・ショート』、『バイス』ですっかりアカデミー賞監督の仲間入りを果たした、アダム・マッケイ。
『アントマン』でのエドガー・ライトの急な降板によって起こった大混乱を収束するためにポール・ラッドの指名により脚本家として参加し、その功績を称賛され、マーベルスタジオの社長でプロデューサーのケヴィン・ファイギからは、「全作品の監督候補」とまで言われて、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の3作目の監督を打診されたほどの今、波に乗っている監督である。
しかし、彼の原点はコメディ。おそらく彼は、今いるほかのどの監督よりもエッジの利いたギャグを作品に入れられるナンセンスギャグの天才であろう。
彼は一見簡単そうに見えて、最も難しいジャンルであるコメディを非常にダイナミックに時に繊細に計算し作り上げてきた。
よく映画で褒められるのは、すごいワンカット撮影やCGを使っただとか使わないだとか主人公のキャラクター性をどこまで掘り下げたかだとかそういった点が評価されるが、コメディは笑えるか笑えないかだ。どんなに素晴らしいカットが撮れてもCGに頼らないこだわりの撮影法を生み出しても、人間の内面に迫ったって、笑えなければ意味がないのがコメディだ。しかも100人中100人が面白いかと思うかというとそうでもない、誰が観ても面白いなんてものがないジャンルがコメディである。
そう考えるとコメディはほかのジャンルに比べて圧倒的に不利である。アカデミー賞は笑えたから賞をあげるという事は非常に少なかったし、観る側もわかりやすい感動は心に残りやすいが、笑いは「はぁ~、笑った」で終わってしまう。
そこがいいんじゃない!という事ももちろんわかるが、ただあまりにもコメディが撮れるが過小評価されてしまうご時世。
コメディ監督こそ、素晴らしいのだと伝えるためにも今回はコメディの天才アダム・マッケイを取り上げて、『俺たち~』シリーズの監督であるという事すら、忘れられ始めた彼の原点を紐解き、彼のスタイル、そして彼の笑いのメカニズムに迫る。
〇アダム・マッケイができるまで
1968年4月17日、ペンシルベニア州のフィラデルフィアで生まれた彼は、12歳の頃に観た『フライング・ハイ!』の影響を受けてコメディの世界に入り込む。
テンプル大学在学中に、スタンダップ・コメディアンとしてキャリアをスタートした。
そんな時、彼が出会ったのはシカゴのインプロ(即興コメディ)であった。
インプロにはスタンダップ・コメディにはない自由さや演じる事の楽しさがあり、すっかり魅了されてしまう。
彼は大学を退学しインプロの本場シカゴへ移り住むことを決意するが、医者である父親からは反対される。
「もし大学に残れば車も買ってやるし、ロースクールの学費も出してやる」
そう言われてもアダムの決意は固く、家にあるレアなアイアンマンやキャプテンアメリカのコミックスを売りはらい上京資金にしてシカゴへ向かう。
アダムは、ダン・エイクロイドやマイク・マイヤーズ、ジョン・ファブローといったコメディアンや俳優たちのインプロの師匠である、デル・クローズに師事し、インプロを学んでいった。
彼の指導の下、頭角を現してきたアダムは、「アダム・マッケイ23歳。自殺します。ウソじゃありません」というポスターをいたるところに張り付け、インプロショーで自殺を試みるという前代未聞のパフォーマンスを行った。
過激な内容やリベラルな内容のコントをやるのがこの頃から好きだったマッケイは他にも哲学者のノーム・チョムスキーが幼稚園生にネイティブアメリカンの虐殺の歴史を教えるというコントをやったが、左翼的すぎると酷評を受けた。
その後、彼は、マット・ベッサー、イアン・ロバーツら共に即興コメディ劇団『アップライト・シチズンズ・ブリゲイド』を結成。
後にエイミー・ポーラー(パークス・アンド・レクリエーション)、マット・ウォルシュ(Veep)などが加入する。1995年からは老舗のコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』のライターに。当初はキャストのオーディションに出たのだが、オーディションに落ち、代わりにライターとして採用された。
〇反逆の『サタデー・ナイト・ライブ』時代
マッケイは『サタデー・ナイト・ライブ』で運命的な出会いをはたす。
「職場でこっそり猫になるのが趣味の男」というキャラクターを演じ、同じ頃に番組のメンバーに選ばれたコメディアン、ウィル・フェレル。
マッケイはウィル・フェレルとコンビで沢山のコントを作り出すことになる。
「ストリーテラー」というミュージシャンが演奏する曲のバックグラウンドを語りながら、演奏する番組のパロディで、「もしニール・ダイアモンドの曲の誕生秘話がどれも狂った内容だったら」というコントや「ロボットに襲われた時に便利な保険」のCMなど狂ったなコントを書くことが多かったため、お蔵入りになる事も多かった。
抜群のセンスで一躍人気者になったフェレルに引っ張られるように、
マッケイもコントの取捨選択などを任される番組のライターのトップ、ヘッド・ライターに選ばれた。
マッケイは、とある事件を起こす。
サタデー・ナイト・ライブを放送している、NBCの親会社ゼネラル・エレクトリックなどの大企業をイジったコントをロバート・スミゲルと共に製作。
内容は大企業がメディアを買収する事によって大企業にとって都合の悪い事をメディアで報じないように封じ込める事ができるというのを教育アニメの「スクールハウスロック」風に歌にしてイジった。
そこでは、1989年のユナイテッド航空232便不時着事故の原因がゼネラル・エレクトリックに報じなかった事やロビー活動をして規制緩和をしてもらっている事を歌った。
もちろん、その内容にゼネラル・エレクトリックは大激怒してしまう。
その後2003年にマッケイは番組を卒業、ヘッド・ライターの座をティナ・フェイに譲った。
〇俺たちコンビ映画界へ
SNL時代にも映画にはちょくちょく出演していたフェレルには仕事があったが、マッケイはというとそうではなかった。SNL時代に撮った、奇妙な短編ぐらいしか映像作品の実績がなかったマッケイは映画界からは相手にされなかった。
Stavenhagen's Food Pawn Shop with Steve Buscemi and Will Ferrell
アダム・マッケイの初監督作品。
主演はスティーヴ・ブシェミと豪華。
しかし、そんなある時、ウィル・フェレルの主演映画を作りたがっていた、同じく当時キャリア的に不調だったジャド・アパトーが2人に目を付ける。
マッケイとフェレルは、70年代に女性差別があったTV業界の女性ニュースキャスターの本に目を付け、この話をベースに差別する側のひどい男たちを主人公にしたストーリーを作り出す。そう、『俺たちニュースキャスター』(04)の誕生である。
本作は大ヒットとはいたらなかったが、カルト的な支持を受け、ウィル・フェレルの代表作となった。
その後も、ジャド・アパトー製作、アダム・マッケイ監督、ウィル・フェレル主演という体制でNASCARの世界を舞台にした『タラデガ・ナイト オーバルの狼』(06)をファレルと共に製作。『タラデガ・ナイト』でも共演した、ジョン・C・ライリーと共に、40歳で親と同居するニートの男2人が両親の再婚を機に義理の兄弟となってしまう『俺たちステップブラザーズ~義兄弟~』(08)を製作。
この3作品には2の共通点がある。まずは、
王道なプロット。『俺たちニュースキャスター』『タラデガ・ナイト』は傲慢な主人公がライバルの出現によりおちぶれて、改心してもう一度キャリアに返り咲くというストーリー。『俺たちステップブラザーズ』は憎みあっていた者同士がお互いを認め合い、協力しより大きな問題へ立ち向かうというストーリー。
いかにもアメリカ映画の王道というストーリーは、マッケイ作品にはあくまで容器のようなもの。その決まった形にいかにキテレツなキャラクターやギャグ、社会風刺を入れ込めるかが彼の作品の本質である。奇想天外な展開やストーリーそのものが笑えるというコメディではない。
Talladega Nights (3/8) Movie CLIP - Knife in the Leg (2006) HD
『タラデガ・ナイト オーバルの狼』より
半身不随になってしまったと勘違いしたリッキー・ボビーが自分の辛さを証明するために脚にナイフを刺すシーン。
そしてもう一つが、ファレルが演じる主人公がバカで保守的で差別的なアメリカ人であるという事。
ここが特にマッケイ作品と他のアメリカンコメディ作品と違う点である。
アメリカンコメディ、例えば70年代、80年代のコメディといえば、主人公はどちらかと言えば反抗的、カウンター・カルチャー的なキャラクターで、ビル・マーレイやエディ・マーフィーなど権力に盾突くスマートなキャラクターがコメディには多かった。
たとえ、とことんバカなキャラクターであっても『天国から落ちた男』や『Mr.ダマー』のようにピュアで根本的には善人である事が多い。
しかし、マッケイ作品のキャラクターは違う。マッケイが作るキャラクターは、非常に有害なバカである。
最もわかりやすい例で言えば『俺たちニュースキャスター』のデヴィッド・ケックナー演じる、スポーツキャスターのチャンプ。
彼は女性差別、同性愛嫌悪、アメリカ男性主義の権化である一方で、自分がゲイである事を自覚していないほどバカというキャラクターである。
マッケイのコメディのスタイルは、反知性主義で保守的なバカを笑うコメディになっている。だが、もちろんそれだけではない。
ちゃんとそのキャラクターは良き人間になろうと挫折を繰り返しながら努力し最後は再び栄光を取り戻す。ファレルが演じるキャラクターはまるで人種差別や戦争さまざまな問題を抱え壁にぶち当たりながらも理想へ向かおうとするアメリカ自身を象徴しているようだ。問題や矛盾を大いに抱えているが、でも観ている人が嫌いになれないという感じがまさにそうである。
この点こそ、マッケイの作品がブッシュ世代のコメディ言われる所以である。ブッシュ大統領が無知で保守的な人間と言われ、保守的なアメリカ人から支持されたように、そんなアメリカ人を笑いものにしたマッケイ作品はアメリカで多くの支持を得た。
〇作風の変容
トップクラスのコメディアンとコメディ監督になったマッケイとフェレルは、2007年に
コメディ動画をアップロードできる『funny or die』というサイトをスタート。当時は変態同士のコミュニケーションツールでしかなかったインターネット(※マッケイ談)でコントを投稿し新たなコメディの才能を発掘していった。
もちろん、2人もここでコントをいくつか配信している。
マッケイの娘とのコント。※現在この娘はミュージシャンとしての活動も始めた
マッケイとファレルのコンビ第4作目は、アパトーのプロデュースも外れ、
より政治的な内容へと変容していく。
『アザーガイズ~俺たち踊るハイパー刑事~』(10)は、ストーリーの大筋は王道なバディアクションではあるのだが、少しひねりが効いている。
まず、マッケイ作品にいつも登場するような保守的で傲慢でバカなキャラクターの刑事は映画の序盤で死亡。ファレルが演じる主人公は、やや臆病ではあるが、真面目で賢い男でその相棒のマーク・ウォールバーグ演じる刑事は、正義感が強く良い警官ではあるが誤ってデレク・ジーターを撃ってしまったため、刑事としてバカにされている男。
2人の敵は、麻薬王やテロリストではない。リーマンショックでアメリカ経済を崩壊した金融業界である。今作は我々の身近にいる本当の敵は、金融崩壊をさせた奴らだ!と金融業界を断罪するのだが今作のテーマはこれだけではない。
フェレル演じたキャラクターにはモデルがいる。それはハリー・マーコポロス。
彼は6兆円の被害額を出した金融詐欺事件の犯人、バーナード・マドフを暴いた人物だが、リーマンショックの影響でマドフが自ら詐欺を自供するまで彼を信じるものはいなかった。彼のように世の中からはオタクと言われていたり、カリスマ性が無くても真面目に働く、その他大勢の人物(アザーガイズ)の言う事を聞くべきだというメッセージをこの映画のファレルのキャラクターに込めた。ただじゃない方のキャラクターに焦点を当てた刑事コメディでは決してないのである。
『アザーガイズ』はアメリカで大ヒットしたが、今作のテーマやメッセージを理解しなかった観客も多かった。
最後の祭りとばかりに弾けまくった『俺たちニュースキャスター2史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』(13)では、全編完全なおふざけである一方で、今回の舞台でもある24時間のニュース専門チャンネルを通してアメリカのニュースの変容が描いている。
重要なニュースの代わりにカーチェイスを放送したり、無駄に文字などのエフェクトを多用したり、画面に株式情報など色んな情報を詰め込んだりと視聴率を狙うためなら何でもするメディアへの風刺が至る所に入っている。
中でも印象的なのが、視聴率を得るために主人公のロン・バーガンディが言った台詞。
ロン「なぜ聞くべき事を伝えなきゃならん?聞きたい事を伝えたい」
フレディ「視聴者が聞きたい事とは?」
ロン「この国が偉大だという事さ」
これは愛国的なニュースを放送し、政府と癒着し世論を誘導しようとした右翼メディアのFOXニュースをパロディにした台詞だ。
またマッケイがSNL時代、NBCの親会社ゼネラル・エレクトリックの不時着事件への関与を報じなかった事をコントで揶揄したように、『俺たちニュースキャスター2』でも、同じようにロンのいる会社GNNの親会社パンダ・エアラインが飛行機のエンジン落下事件を報じないように圧力をかけるというシーンが登場する。
映画の後半、そんな様々な制約や圧力、不正などでがんじがらめになったメディアに対して、そして視聴者に対してロン・バーガンディがメディアのありかたやニュースとは何かを問いかけてくる。
ロン「本当のニュースとは権力が腐敗しないよう視聴者に知らせること。
もし権力がニュースを握ったら?おやすみ、アメリカ。
忘れないで。真実が大事です」
『俺たちニュースキャスター2』は、前作よりもよりメッセージが明確に力強く発せられている。
〇マッケイ、怒る
映画は必ずしも、そのテーマや主張を観る側が理解するわけではない。ましてやコメディになるとなおさらである。
事実、『タラデガ・ナイト オーバルの狼』は、映画内であんなにバカにしていたにも関わらず保守的なアメリカ白人から大きな支持を得ていた。
マッケイのコメディ作よりも混沌とした世の中になってしまったアメリカの中でマッケイの作る作品は、より政治的でコメディ色を抑えた作品に変わっていく。
『マネー・ショート~華麗なる大逆転~』(15)では、リーマンショックの裏側を4人のキャラクターの視点で物語映画というよりも『オーソン・ウェルズのフェイク』のようなエッセイ映画のような撮り方を行った。
実際の写真や映像を細切れにインサートしたり、説明が退屈だからとバスタブにつかったマーゴット・ロビーにサブプライム・モーゲッジの事を説明してもらいますといきなり映画の流れを無視して、マーゴット・ロビーが開設をはじめるなど、観ていてドキュメンタリーなのか劇映画わからなくなってくる構成になっている。
スタイリッシュでドライな演出の中でもリーマンショックに対する怒りは強く表れていた。スティーブ・カレル演じるマーク・バウムは、劇中、ほとんどキレている。実在の人物をモデルにはしているが、まるでアダム・マッケイの怒りを代弁しているようだった。彼の台詞には不正や不誠実な金融業界への怒りに満ちている。
さらに続く『バイス』(18)では、『マネー・ショート』での演出法をそのままにブッシュ政権を裏で操っていたディック・チェイニー元副大統領の伝記映画を作ってみせた。
映画の途中、チェイニーが犬のブリーダーになって幸せな余生を過ごしてめでたしめでたし・・・というテロップと共にエンドロールが始まったり、登場人物の会話をシェイクスピア調にしてみたり、カットされたシーンだが政界でのやり方をミュージカルで教えるなど、よりふざけたやり方でただの政治家の自伝映画ではないドラマであり、政治スリラーでもありコメディでもあるというジャンルを定義しがたい映画にマッケイは仕上げた。
アダム・マッケイの監督以外の部分では、ウィル・フェレルと共同で立ち上げた映画製作会社「ゲイリー・サンチェス」で、主にウィル・フェレル主演の映画のプロデュースをし、他にもメディア王、ルパード・マードックをモデルにしたHBOのドラマ『サクセッション(キング・オブ・メディア)』(18)、Amazonではグローバル経済をテーマにコメディアンのカル・ペンがお金の裏側をあぶりだす、コメディドキュメンタリー『ジャイアント・ビースト』(19)なども製作している。
さらに女性監督、女性製作者による映画を増やすための映画製作会社「グロリア・サンチェス」も設立し、『ブック・スマート』(19)や『ハスラーズ』(19)などのヒット作も生み出した。
現在、設立したFunny or dieが、ロイヤル・ダッチ・シェルとパートナー関係を了解なしに結んだため、環境問題に取り組んでいるマッケイはそれに憤慨し、Funny or dieを抜けてしまう。
さらにウィル・フェレルとのコンビを解消し、ゲイリー・サンチェスを解体し、グロリア・サンチェスも受け渡して、新たに個人として「ハイパーオブジェクト・インダストリー」を設立。
最初の長編映画としては『Don’t Look UP』がジェニファー・ローレンス主演でNETFLIXでの配信が決定している。
また、科学など非常に退屈と思われがちなものをテーマにしたポッドキャスト『
Surprisingly Awesome』もスタート。
放送時期は未定だが、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』の米国リメイクの製作もHBOで行うと発表された。
また、マーベル作品の『シルバー・サーファー』の映画化も狙っているそうだ。
マッケイは『俺たち~』のようなコメディはしばらく撮らないそうだ。
理由は、トランプ政権になり自分たちが撮っていたコメディよりもイカれた状況になったからだという。
世界は、今もなお混沌に満ちている。
マスコミは報じるべき問題をなかなか報じず、報じたら報じたで保守派はマスコミは反権力の情報操作をしていると怒り出す。
コロナウイルスのせいで、余計に国や政府の足を引っ張るような報道をするなと声が保守派ではない一般人からも上がりだした。
だが、こんな時こそ、ロン・バーガンディの言葉を思い出してほしい。
「本当のニュースとは権力が腐敗しないよう視聴者に知らせること」
こういう混乱した時期を狙って裏で何かやましい事をしだす輩は多くなる。
我々はそれをキチンと監視するためにもメディアは無くてはならない。
たとえ、政権が変わったとしても同じこと。それがアメリカだろうが日本だろうが関係ないのである。
アダム・マッケイはここまで深い部分まで掘り下げる事もできる作品を作れる映画監督だ。この視点を持って観てもらえれば、バカな映画の中にも新たな発見があるはずだ。
マッケイが再びウィル・フェレルとバカな映画を撮れる日が来るように祈る。