ジャド・アパトーの “ほぼ” すべて~This is almost everything about Judd Apatow~
〇はじめに
ジャド・アパトーの事を知りたくて、これから始まる長ったらしい文章を読んでいただけることに感謝します。
もし、もっと読みやすくまとまり、素晴らしい解説や分析をされているジャド・アパトーについての文献を読みたいのであれば、長谷川町蔵氏の『21世紀アメリカ喜劇人』(スペースシャワーブックス)を強くおススメします。
これから始まる内容は、ジャド・アパトーが気になって、ネットで調べたが、イマイチ、ジャド・アパトーがどんな人物なのかどれだけすごいのかわからない、もうちょっとWikipediaや日本語で読める本や記事よりも余計な事も知りたいという方に向けて書きました。これを読んで、ジャド・アパトーがより好きになったり、ジャド・アパトーの作品が観てみたいとなって頂けたら幸いです。
それと配給会社の人がこれを読んでジャドが流行ってると勘違いして公開されることを願っております。
〇なぜジャド・アパトーなのか?
ジャド・アパトーは、現在のアメリカンコメディにおいて最も重要な人物と言っても過言ではない。彼が率いる(別に率いているわけではないのだが)コメディアンや俳優たちはアパトーギャングと言われ、現在のアメリカンコメディの最前線で活躍している。
セス・ローゲン(『無ケーカクの命中男/ノックドアップ』)、アカデミー賞にまでノミネートされたジョナ・ヒル(『スーパーバッド』、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』)、最近はアパトー作品でのキャラクターのままマーベルヒーローになったポール・ラッド(『40男のバージンロード』、『アントマン』)、歌う大男ジェイソン・シーゲル(寝取られ男のラブバカンス、ザ・マペッツ)などその規模は大きくなり、人気もはくしている。
しかし、日本でジャド・アパトーの名を知っている人はどれくらいいるだろうか。
彼の作品群を見ると、『俺たちニュースキャスター』、『俺たちステップブラザーズ』、『エージェント・ゾーハン』、など日本ではおバカ映画と評されるものが多いが、それらはあくまで彼が脚本やプロデュースした作品であり、彼が監督する作品はどれもおバカ映画と割り切れる作品では決してない。下ネタやオタクギャグ満載でつい同じに見えてしまうが。
ジャドのプロデュース作品で彼の名前を多くの人が知る機会にもなった作品、『俺たちニュースキャスター』の監督、アダム・マッケイはジャドの作品と自分の作品を比較してこう言う「ジャドの作品に比べて僕らが作っているのは、もっとバカだな」
ジャドの作品は、面白いキャラクターや面白い設定でのコメディとは一線を画す。
もちろん面白いキャラクターや設定がないという訳ではないが、ジャドは、人間の感情的な部分や日常のリアリズムに根ざした設定でコメディ映画を作る。
そんな彼の作品の魅力は何なのか。彼自身の経歴と作品を通して考えてみよう。
〇コメディ好きの少年時代
1964年にジャド・アパトーはユダヤ系の両親の下、3人兄弟の二男として生まれ、ニューヨーク州のショセットで育った。
コメディ好きのジャドは、少年時代から、テレビ、映画、レコードを通して、多くのコメディに触れてきた。こうした少年時代のコメディ体験は、彼に多くのコメディの知識をもたらし、学校の宿題で30ページのマルクス兄弟に関するレポートを書き、さらにはコメディ考察ノートを作る程であった。
そして、彼のコメディアンになりたいと思う気持ちを一層強くした。
〇両親の離婚
中学生の頃、ジャドの両親が離婚し、彼は母親に引き取られた。
両親の離婚は、彼にとって最も辛い思い出で、後にこの時期に抱えていた苦しみや不安がコメディの原動力になったと言っている。
また、この経験は、ジャドが製作、監督、脚本を担当したTVドラマ『フリークス学園』にも反映される。
主人公のサムの友人、同じくモテないオタク少年のビルのキャラクターはジャドの少年時代が反映されている。学校から帰って来たジムが誰もいない家でサンドウィッチを作り、独りTVのコメディショーを観るシーンは、ジャドの本人の実体験である。
離婚後、母親は、ジャドのためを思ってなのか、決して高給取りとは言えないコメディクラブのウエイトレスの仕事を始める。この時ジャドは、初めて生でスタンダップコメディに触れる事になる。
14歳になると、ジャドは家からほど近いコメディクラブで皿洗いをし、下積み時代が始まる。
そして、そこには21歳の新人エディ・マーフィー(『ビバリー・ヒルズ・コップ』)も出演していた。その時、エディ・マーフィーは客からのヤジに対し、
「お前が何言おうと気にしないね!だって俺は21歳で、黒人でお前よりでかいチンポがあるからな!」と返した。ジャドはエディの返しに感銘を受け、コメディアンになる事を決心する。
とはいえ、一体どうすればいいのか?何かいい方法はないのか?
彼はコメディアンたちからその秘密を教えて欲しかった。
だが、そんな事をコメディアン志望の中学生に教えてくれるわけがない。
〇Sick In The Head 高校時代
高校時代にジャドに一つの転機が訪れる。JAZZマニアの友人のジョシュが校内FMラジオで、やっていた番組に触発されたジャドは、これのコメディ版が出来るはずだと考える。
ジャドはジョシュが、FMラジオという体で、色んなアーティスト達に会い、インタビューしている事を知り、彼は自分が会いたいコメディアンに話を聞けて何かしらテクニックを盗めると思い、校内FMラジオの番組を始める。
そして、さまざまなコメディアンにアポを取り、FMラジオのインタビューとして取材行う事に。
彼は、若き日のジェリー・サインフェルド(『となりのサインフェルド』)、ジェイ・レノ(『ザ・トゥナイトショー』のホスト)、アル・ヤンコヴィック(コメディ音楽家『今夜はイートイット』など)、ハロルド・ライミス(監督・脚本家『恋はデジャブ』『ゴースト・バスターズ』)、ハワード・スターン(ラジオ・パーソナリティ『ハワード・スターン・ショー』『プライベート・パーツ』)など多くのコメディアンから話を聞くことができた。彼らはインタビュアーとして現れた男が巨大なラジカセを持った青年だという事に驚きはしたものの、決して彼の事を邪険にはせず、皆、親切に気前よく話してくれた。
ジャドにチンチンを見せてくれないかと言ったとある1人のコメディアンを除けば。
そして、彼は多くのコメディアンからたくさんの事を聞き出し、多くの事を学んだ。
この時のインタビューを基にした著作が『Sick In The Head』というコメディアンやクリエイターたちへのインタビュー集である。
若き日のジャドとジェリー・サインフェルド
ハロルド・ライミス
〇コメディアンへの道
ジャドは、17歳の頃にスタンダップコメディアンのキャリアをスタートする。そして、ロスに引っ越し、脚本を学ぶため、南カリフォルニア大学に入学する。
1989年、TVやコメディクラブでのコメディアンとしての仕事が増えていく中、同じコメディクラブに出演していたアダム・サンドラー(『ウェディング・シンガー』)と意気投合。同居するまでの仲に。
映画などに詳しかったジャドは自分のおススメの映画をアダムに色々と教えていった。
その事が後にアダムが多くの映画を製作する事のきっかけにもなった。
この頃に、ジャドは多くのコメディアンと出会いその仲間たちと後にさまざまな仕事をしていくことになる。同じコメディクラブに出演していて、得意のモノマネで爆笑をさらっていたジム・キャリー(『マスク』)、デイヴィッド・スペード(『ディッキー・ロバーツ 俺は元子役スター』)、コメディアン時代のポール・フェイグ(『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』の監督)など。
またその関係性は続き、後のアダム・サンドラーの映画の『ウェディング・シンガー』やジム・キャリーの映画『ライヤー・ライヤー』、『ブルース・オールマイティ』をクレジット無しで脚本のリライトをしている。
同居人だったアダム・サンドラーは老舗のコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』(NBC)のレギュラーになる一方、ジャドはライターとしてさまざまな番組に参加。
そして、1992年にベン・スティラーと組んだコメディ番組『ベン・スティラー・ショー』(前期はMTV、後期はFOX)はエミー賞を受賞するほどの高い評価を受けた作品だったが、視聴率が振るわず、13話で打ち切られてしまう。
「スプリングスティーン伝説」『ベン・スティラーショー』より
〇ライターへの転向
ジム・キャリーやアダム・サンドラーなど仲間のコメディアンが第一線で活躍する中、ジャドはコメディアンとしての道をあきらめ、ライターとしてTV番組や映画に活動の場を移す。
1996年、『リアリティ・バイツ』を監督し終えた、ベン・スティラーの2本目の監督作品『ケーブル・ガイ』のプロデュースをする事になり、主演はコメディクラブ時代の友人で、当時のトップスターのジム・キャリーだった。ストーリーは、ジムが演じるケーブルTVの配線業者(ケーブルガイ)が、マシュー・プロデリック演じる俳優ととある理由で、友達になるが、徐々にケーブルガイの行動はエスカレートし、ストーカーまがいのものに発展してゆく、というもの。
ちなみに出演を依頼する時、ジムはちょうど『エースにおまかせ』の撮影で、ジムが等身大のサイの模型のお尻の穴から出てくるシーンを撮影中だった。ベンとジャドは灼熱の中ジムがサイの尻の穴から出てくるのを待つハメになった。
ジムも含め3人は今までのジムのキャリアではやった事のないタイプの作品を目指した。
『ケーブル・ガイ』はコメディ映画として作品は撮影されていったが、撮影するにつれ作品のトーンはスリラーに近くなっていった。完成した作品は、ジム・キャリーが出ていたこれまでの作品とは全く違うものになり、ダークコメディ、ホラーコメディと称するものになった。
スタジオ側もそれに気づき、予告編を明るいコメディ調にするなど対策を練るが、映画は大ゴケ。
ベン・スティラーはその後『ズーランダー』までの5年間映画を撮ることはなかった。
そして、ジャドは8年間映画に直接的に携わる事はなかった。
不幸中の幸いか、ジャドは『ケーブル・ガイ』でジム・キャリーの代わりに台本の読み合わせをした際にヒロインとして出演した、レスリー・マンに恋に落ちる。
レスリー曰く、自身はベン・スティラーの事が好きだったが、熱心なジャドのアプローチもあって、1年後に結婚。娘のモードを授かる。
ちなみに、この時の経験が自身2作目の監督作『無ケーカクの命中男/ノックト・アップ』で活かされる事に。
コメディ調に作られた「ケーブル・ガイ」の予告。
音楽は楽しそう。
〇フリークス学園
脚本家としてのクレジット無しで参加していた作品『ウェディング・シンガー』や『ライヤー・ライヤー』が大ヒットする中、ジャドと同様、落ち込み気味のキャリアで、俳優の道を諦め、ライターに転向しようとしていたポール・フェイグに何かいいアイデアがあればスタジオに持っていくと声をかけたジャドはポールが長年温めていた学園モノのアイデアを聞かされる。
それは、従来の学園ものでは決して中心人物として描かれることがなかった、高校のオタクたちや落ちこぼれたちにスポットを当てたドラマだった。
ジャドやポールら脚本陣が自ら経験した事をベースに作られ、タイトルは、
『フリークス(落ちこぼれ)&ギークス(オタク)』(邦題は『フリークス学園』)と名付けられた。
さまざまなスタジオにたらい回しにされたのち、スティーブン・スピルバーグが設立した製作会社「ドリーム・ワークス」の手に渡り、1999年の9月、NBCで放送されることに。
オーデションを行い、主演のリンジー役のリンダ・カルデリーニ(『アベンジャーズ』のホークアイの嫁)、ジェームズ・フランコ(『スパイダーマン』シリーズ)、ジョン・フランシス・デイリー(『BONES』『モンスター上司』の監督・脚本)さらにここでセス・ローゲン、ジェイソン・シーゲルなど後に多くの映画を共作する事となるメンバーも揃う。
若いキャスト陣には、悲劇の子役スターにはなって欲しくないと考えたジャドは、ドラマではなくあくまで実生活を優先させるよう伝え、脚本に興味があったセスとジェイソンには後のキャリアで役立つとポールと共に自身の脚本術を伝授した。これもライターへの道を余儀なくされたジャドとポールの経験があっての事だろう。
しかし、この作品は『ビバリーヒルズ青春白書』、『サンフランシスコの空の下』、『フェリシティの青春』、『ドーソンズ・クリーク』などが放送される中では、華やかなモノとは程遠く、高い評価に反して視聴率は伸び悩んだ。
スタジオ側もテコ入れのため、青春の痛々しいビターなテイストのストーリーだけではなく、清々しいハッピーエンドも入れるようにジャドとポールに提案するが、2人はそれこそがこのドラマのテーマであるとそれを拒否。その後も視聴率が伸び悩み、放送は18話で終了。
セスは、視聴率が下がり、話数が進んでゆくにつれ、パイロット版の撮影の時には豪華だったケータリングも最終話の頃にはだいぶ寂しくなっていってしまったと当時を振り返る。
ジャドは、また自分の作品が受け入れられなかったと落ち込むのと同時に、まだ若いキャスト陣のキャリアを台無しにしてしまったと後悔する。
その次の年に挽回のチャンスが訪れる。『フリークス学園』のフォーマットを大学の寮に置き換え、30分のコメディドラマに落とし込んだ、『Undeclared』をFOXでスタートする。主演にジェイ・バルチェレル(『魔法使いの弟子』)を迎え『フリークス学園』と同じく監督陣はポール・フェイグやジェイク・カスダン(『オレンジカウンティ』)、俳優もセス・ローゲン(脚本も兼任)、ジェイソン・シーゲルなどが引き続き参加。
『フリークス学園』の半分の30分のコメディだからと楽観視していたジャドだが、実際作るとなると、ドラマ作品であった『フリークス学園』に比べ、多くのギャグを入れて、コメディとして作らなければならず、苦戦したという。
『フリークス学園』の時以上に豪華なゲスト出演が多く、『フリークス学園』にもゲスト出演した、ベン・スティラー、エイミー・ポーラー(『パークス・アンド・レクイエーション』『インサイド・ヘッド』)、アダム・サンドラー、ウィル・フェレル(『俺たちニュースキャスター』)、監督にはジョン・ファブロー(『スウィンガーズ』『アイアンマン』)が参加した。
しかし、それもむなしく、この作品もわずか17話と言う短さで打ち切られる。
ジャドは自分の名前が出るモノは失敗し、自分の名前が伏せられた作品はヒットするというジレンマに陥っていた。
『フリークス学園』オープニング
〇ジャド・アパトーの逆襲
2004年、ジャドは再び映画界に戻り、かねてから主演作を作りたかった、ウィル・フェレルに映画製作を打診。『サタデー・ナイト・ライブ』でウィル・フェレルと共にコントを作っていた、アダム・マッケイを監督に1970年代のサンディエゴの地元テレビ局チャンネル4のニュースキャスターたちが、新しくやってきた女性キャスターにあの手この手で嫌がらせしていくという『俺たちニュースキャスター』製作。ジャドは作品のプロデュースをおよそ8年ぶりに行った。
この作品が全米で大ヒットし、ジャド・アパトーの名が一気に広まるのであった。
映画史に残る名シーン『俺たちニュースキャスター』より
『俺たちニュースキャスター』撮影の中、1人のコメディアンに興味を持った。それは、この作品の中で、ひときわ異彩をはなっていた、スティーブ・カレルだ。
ジャドは、何かアイデアがあれば聞くよと言い、スティーブ・カレルが持ってきたいくつかのアイデアの中の一つで、40歳の童貞の男が初体験をするという話に興味を持った。丁度、自身の監督作品の製作を考えていたジャドはスティーブと共に脚本を書き上げ、映画会社のユニバーサルに持ち込んだ。ユニバーサルはその脚本を気に入り、GOを出し、低予算ながらも撮影が開始。
『40歳の童貞男』というタイトルで撮影がスタートした。
出演は、スティーブ・カレル、キャサリン・キーナー(『カポーティ』)、ポール・ラッド、セス・ローゲン、ロニー・マルコ、エリザベス・バンクス、そしてジャドの妻のレスリー・マンなどが顔をそろえた。
撮影がはじまった数日後に撮影のラッシュを観たユニバーサルの重役が、ジャドにこう言った。
「ポール・ラッドが太っている。痩せさせろ」、スティーブ・カレルが自転車で通勤するシーンを観て「シリアル・キラーにしか見えない。俳優を変えよう」などとスタジオ側から文句が出始めた。
しかし、その言葉を無視して撮影は続行。ちなみに「シリアル・キラーにしか見えない」という言葉は、この作品のセス・ローゲンの台詞で使われた。
この作品が大ヒットしただけでなく、批評家層からも評判がよく、放送映画批評家協会賞のコメディ賞を受賞した。
ここから、ジャド・アパトーの快進撃が始まる。
スタジオから「サイコキラーにしか見えない」と言われたシーン
『40歳の童貞男』より
ジャド・アパトーは年に数本の映画やドラマのプロデュースや脚本を始める。
2007年には『無ケーカクの命中男/ノックドアップ』を監督。
一夜を共にした新人女性キャスターを妊娠させてしまう主人公が、妊娠を通して結婚や人生について見つめ直すというストーリー。
自身の結婚体験をベースに主演のセス・ローゲンと脚本を共に書き上げ、こちらも大ヒットした。この作品には、ジャドとレスリー・マンをモデルにした夫婦が登場し、ポール・ラッドとレスリー・マンが演じ、さらにはジャドとレスリーの娘、モードとアイリスも夫婦の娘役で出演。レスリーは出演だけでなく、脚本にさまざまなアイデアを出している。妊娠中のセックスで、赤ちゃんの頭をチンコで突いているみたいだからできないと主人公が途中でやめてしまうシーンは、レスリーのアイデア。
この作品以外にもレスリーのアイデアは、ジャドの作品に多く取り入れられ、ジャド自身もレスリーの才能に感謝しながらも、脚本家として自分の手柄にしたいからこれからは黙っておくつもりだと言っている。
レスリー・マンがアイデアを出したギャグシーン 『無ケーカク命中男/ノックト・アップ』より
さらにジャドの下で脚本を学んだセス・ローゲン、ジェイソン・シーゲルがそれぞれ映画を製作。
セスは『フリークス学園』の撮影中に書いた脚本を基に『スーパー・バッド~童貞ウォーズ~』を製作。ジェイソンも自身の失恋経験を基にして作った脚本『寝取られ男のラブバカンス』を製作する。もちろん製作はジャド・アパトーである。
そして、2009年に自身3本目の作品となる『素敵な人生の終わり方』を監督。
自身が体験したコメディアンとしての人生を投影して作られた作品はかつての盟友、アダム・サンドラーが主演した。アダムは売れっ子コメディアンを。そして、ジャドを投影させた売れない若手コメディアン役をセス・ローゲンに演じさせた。
この作品は前2本とは違う、コメディアンを題材にしたシリアスな作品となった。
アダムとジャドの同居時代の映像が使われたオープニング。
『素敵な人生の終わり方』より
そして、女性コメディアンが面白いと思い始めた、ジャドは『サタデー・ナイト・ライブ』の人気女性コメディアン、クリスティン・ウィグに目をつける。
彼女に映画の脚本を書かせた、ジャドはその作品の製作に携わり、監督をポール・フェイグに任せ『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』を製作。
この作品に出演した女性コメディアン、メリシア・マッカーシーは一躍スターの仲間入りを果たし、アカデミー助演女優賞にまでノミネートされた。
さらには、映画『Tiny Furniture』を監督・脚本をしたレナ・ダナムにドラマの製作を持ちかける。
ちなみに彼女はジャド・アパトーからメールで連絡があった際、友達のイタズラだと思ったらしい。
映画では監督4作品目の『40歳からの家族ケーカク』で、自身の結婚生活を投影し、『無ケーカクの命中男』で登場した、ポール・ラッドとレスリー・マンが演じた夫婦のキャラクターを主人公に夫婦の危機を描く物語を作り上げた。今のジャドとレスリー、そして2人の娘との生活を投影させ、この作品もよりジャドにとってパーソナルな作品になった。『無ケーカクの命中男』にも夫婦の娘役で出演した、ジャドの2人娘、モードとアイリスも引き続き出演し前作以上の演技を見せる。
ジャドの娘、モードは、2週間でLOSTの全エピソードを観終え、ジャドとレスリーを震撼させた。そして、ネタにされるのであった。
『40歳からの家族ケーカク』より
2015年には、『40歳の童貞男』のスティーブ・カレルの時のように今面白いコメディアンの映画を撮ろうと考えたジャドは、人気の女性コメディアン、エイミー・シューマー書き上げていた脚本を基に、彼女に脚本・主演の2つを任せ、『Train Wreck』を監督する。
真剣な恋愛に踏み込めない女性がイケメンスポーツドクターに取材をしていくうちに本当の恋に目覚めていくというストーリー。
この作品はゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門作品賞、主演女優賞にノミネートされた。
見事なコメディ演技を見せてくれた、肉弾凶器ことジョン・シナ
『Train Wreck』より
そして、2016年には動画配信コンテンツNetflixのオリジナルシリーズ『LOVE』の製作・脚本を担当する。出演は、ギリアン・ジェイコブズ(『コミ・カレ!』)、脚本も務めるポール・ラスト(『愛しのベス・クーパー』)
2016年2月19日より配信のNetflixオリジナルシリーズ『LOVE』
〇最後に・・・
このようにジャド・アパトーのフィルモグラフィーを見るとさまざまなタイプのコメディを製作している一方、彼の監督作品は聞くだけで笑ってしまう設定でもなければ、ぶっ飛んだキャラクターたちが次々と登場するわけでもなく、恋愛、夫婦、家庭、仕事という日常生活に根ざした題材といかにもその辺にいそうな人物たちを笑いのフィルターを通して描いてゆくスタイルを一貫している。
彼がそのようなスタイルと取る理由は彼自身がそういった題材こそがコメディとして一番面白いものだと感じているからだそうだ。
さまざまなコメディアン出合い、彼らとはまた違うスタイルをジャドは確立したのである。
そういった見方でジャド・アパトーの作品を観てみると、地味で何も起きない長いコメディ映画というイメージが変わるのではないだろうか。そもそも人生と言うのは、地味で何も起きない長いコメディ映画のようなものではないだろうか。人生というものを題材にしているジャドの作品を日本でもより多くの人が楽しんでくれるよう願っている。