世界一考察から遠い映画『俺たちステップブラザーズ』の考察する
巷には、映画の考察があふれている。古くは『2001年宇宙の旅』、『ブレード・ランナー』最近では『ダークナイト』『パラサイト』『ジョーカー』・・・などさまざまなジャンルの映画の考察が行われているが、コメディ映画の考察はかなり少ない。古典の映画ならまだあるが、最近のコメディ映画の考察は無いに等しい。
当たり前である、コメディ映画に考察が必要なほど難しいようなら面白くない。
それは、わかるがそれらは本当に考察に値しないのだろうか。
『俺たちステップブラザーズ』というもっとも考察から遠い映画を考察しようと思う。
そこから、新たな発見や魅力がわかるはずだ。
すでに観ていて大好きな人もまだ観たことない人にもこの作品をより楽しめるようになってもらえれば幸いである。
マッケイ流のストーリーテーリング
『俺たちステップブラザーズ』は、アダム・マッケイの3作品目の監督作品。
ストーリーは、39歳で母親と同居しているブレナン(ウィル・フェレル)と40歳で父親と同居しているデイル(ジョン・C・ライリー)が、親の再婚により義兄弟となってしまい、同居生活が始まる。最初は対立していた2人だが、やがて友情をはぐくみ本物の兄弟のようになっていくという物語。
いかにもオーソドックスなストーリーだが、それはアダム・マッケイのストーリーテーリングの特徴である。
例えば同じ監督作の『俺たちニュースキャスター』、『タラデカ・ナイト オーバルの狼』は、典型的な伝記モノのストーリー。1幕目では主人公の栄光の日々が描かれと2幕目では主人公の挫折と失敗、そして3幕目で主人公が再び立ち上がり栄光を取り戻すという非常にオーソドックスなストーリーテーリングをしている。
観ている側の多くがすでに知っているオーソドックスなストーリーだから、ギャグが多くて注意散漫になってもストーリーを見失う事はない。
もう一つマッケイがオーソドックスなストーリーを使う理由としては、既存の映画を徹底的にコケにするためである。
『俺たちニュースキャスター』も『タラデカ・ナイト オーバルの狼』も伝記モノだが明らかにバカな人間しか出てこない。
オーソドックスな伝記モノの展開するストーリーとその話と相反するキャラクター達のバカさのギャップがたまらなく可笑しい。
『俺たちステップブラザーズ』のストーリーテーリングも非常にオーソドックスで、反目しあう者たちがやがて友情をはぐくみ、2人の間に出来た大きな障害を乗り越え、よりよい人間に成長するという構造だ。
『俺たちステップブラザーズ』では、この手の映画によくあるキャラクターの成長を描くベタなモンタージュが出てくる。
家を追い出されたブレナンが独り暮らしを始め、トイレをしていると紙がなく、しかたなしにマットレスで尻を拭き、次のカットでスーパーからトイレットペーパーを買ってガッツポーズをしながら出てくるブレナンを壮大な音楽で盛り上げるという映画史上最もどうしようもない成長のモンタージュである。
このように映画のベタを徹底的にコケにするマッケイの作品ではストーリーは重要ではないのである。
ウィル・フェレルの最強兵器「即興」の魅力
では、『俺たちステップブラザーズ』はストーリーに気にしない行きあたりばったりなギャグだけで構成された雑な映画なのかと言われるとそうではない。
ここからは、この映画の特に優れている点を挙げていきたいと思う。
まずはロジカルに作られた『即興』いわゆるアドリブ。
この作品に限らず、マッケイの作品はもちろん、コメディ映画ではアドリブが多い。
アドリブが作品を支えていると言っても過言ではない。
ただ、一般的にアドリブはその場で思いついた台本にない面白い事を言って笑わせるのがアドリブだと思われがちだが、そうではない。
アドリブは常にロジカルでなければいけない。
このキャラクターだからこういう事を言うなどとその場面に則したアドリブだから自然に聞こえて笑える。逆にキャラクター、場面に則したアドリブでなければ、どんなに面白いモノを言えたとしてもそのシーンのその笑いは浮いてしまう。
アドリブのシーンがアドリブだとわかってしまうようでは意味がない。
さも脚本に書いてあったかのように、アドリブが言えるから、すごいのである。
これに関しては、主演のウィル・フェレル、アダム・マッケイが即興劇団に所属し学んだことから来ている。アドリブのシーンに関してはそこを一番大事にしている。
だから、コメディアンじゃない、義父役のリチャード・ジェンキンスや母親役のメアリー・スティーンバージェンにもアドリブをやらせるのは、俳優として彼らがそのキャラクターを理解しているからである。
即興というのはその場で思いついた言う事ではなくキャラクターの理解でもある。
また即興以外の部分でもキャラクターの理解は大事にしている。
この作品のキャラクターの主人公2人のルールは『外身は大人だが中身は子供である』という事。だから、2人の衣装は常に短パンにTシャツで、お酒を飲んでいるシーンはないし、大喧嘩して疲れて寝てしまうなど子供であるという演出は細部にわたってされている。
さらに見た目も状況もさして変わらない、ブレナンとデイルだが、意外と丁寧な演じ分けもされている。
ブレナンは非常に繊細で内向的でトラウマを抱えている。
デイルは粗野で虚栄を張った自信家。仕事が無くても上手くやっていると思っている。
このように正反対な2人なのでセリフや行動にも差が出ている。
ブレナンはどんな人にも丁寧な接し方をするのに対してデイルは非常に高圧的である。
また小道具にも差が出ていて、2人が顔を合わせて初めての食事のシーンでは、
ブレナンはグラスでブルーのペプシを飲んでいるのに対しデイルは缶から直接飲んでいる。
このように細かいルールも設けているのはキチンとキャラクターを理解して作られているからである。
キャラクターの理解だけでなく即興の基本として『目の前にあるものを使う』という事。
どういう意味かと言いうと、脚本上のいままでの流れで出てきたもの要素をなるべく使うという事。これもコメディ映画ではよく忘れがちで、面白いという事だけで唐突に色々なギャグを出していくと非常に雑なものになってしまう。
その点『俺たちステップブラザーズ』は、丁寧に前フリを入れていたり、前に使ったギャグや話、小道具などをキチンと使いながらギャグやストーリーが構成されている。
わかりやすい例で言うと、デイルのドラムセット。
デイルが一番大事にしているものであり、誰にも触れさせないようにしている神聖なドラムセット。1幕目ではそれを勝手にブレナンが触り大喧嘩になる。
2幕目ではデイルがブレナンを殺害して生き埋めにする時に使われる。
3幕目では、ステージで勇気を振り絞りデイルとブレナンがパフォーマンスをするシーンで使われる。ストーリーの節目、節目にキチンとドラムセットが使われているのだ。
細かい部分で言えば、最初に登場した隣の獰猛な盲導犬が途中の大喧嘩シーンにも登場したり、ブレナンの弟、デレクが発表会で口パクで踊ったヴァニラアイスの曲『ICE ICE BABY』は、デレクが登場する要所要所で流れたり、デレクの不動産屋の看板には
「D-MAN(デレクのあだ名) MY HOUSE IS NICE NICE HOUSE」と歌詞をモジったセールス文言が書かれている。
このように即興の基本に則してギャグやストーリーが構成されている。
アダム・マッケイのシャープな演出
『俺たちステップブラザーズ』は即興の要素だけがすごいのかというとそうではない。
マッケイの演出が冴えている部分も多い。
中でも優れているのがキャラクターの紹介するシーン。
説明台詞などは極力使わずにビジュアルだけでキャラクターを紹介している。
オープニングシーンではブレナンとデイルがどういう生活をしていてどういう人間なのかカットバックで見せていく。
また2人の親が出会うシーンも非常にシンプルにテンポよく展開していく。
特筆すべきは、やはりデレクの家族の登場シーン。
家族が車に乗りながらアカペラでハモっているだけなのであるが、まるでロボットのような子供たち、妻の表情は死んでいていかにもこの夫婦の間に愛はないという事、弟はコントロールフリークで妻を抑えつけていて、競争主義的な人物である事がこの車のシーンだけで充分伝わってくるのである。
そのような事がわずか1分ほどのシーンですべて伝わってくるのがすごい。
このシーンは、おそらくどの映画のキャラクター紹介シーンよりも優れた紹介シーンであろう。
Step brothers (Derek can sing high like this)
この映画最大の魅力、エモーショナルな3幕目
『俺たちステップブラザーズ』がキチンと定石を踏み、ていねいに作られた映画だとはこれでわかったかと思われるが、同時にチャレンジングな試みもしている。
それが、エモーショナルになる3幕目である。
すっかりやり手ビジネスマンなったブレナンがヘリコプターのリースパーティー、カタリーナ・ワイン・ミキサーの担当になり、家族の仲をもう一度取り戻そうと、ケータリングの仕事をしているデイル、母親、義父を招待してパーティーを行うのだが、80年代のビリー・ジョエルのコピーしかやらないバンドが出て行ってしまい、盛り上がりをみせていたパーティーは一気にシラケてしまう。上司のデレクのクビを宣告されるブレナン。
義父のロバートは誰もいないステージを指さし、2人にステージに立つようにたきつける。
しかし、2人がそれを拒むとロバートは、自分が17歳の頃に恐竜になりたかったが、父親の反対を受けてその夢をあきらめてしまった話をする。
「己の恐竜を失うな」とロバートは2人に言う。
『俺たちステップブラザーズ』は2人のマンチャイルドが、成長する話でもあるが、同時に、2人を嫌っていたロバートが自分のトラウマを通して息子たちを信じてあげる話にもなっている。
だから、このシーンはバカバカしくもウルッとされるのである。
勇気を振り絞ったデイルはステージに立ち果敢にドラムを叩き続ける。
「ボートと女」「ボートと女」…。デイルの歌声とビートが会場にむなしく響き渡る。
その姿を見たデレクは、かつてブレナンのトラウマを作るきっかけになった罵声
「モッコリなし!(Dale has a mangaina!)」コールを始める。
かつて自分を苦しめた「モッコリなし!」コールを浴びるデイルを見てブレナンは、
ステージに立ち、彼の持つ天使のような歌声を披露する。
歌はアンドレア・ボッチェリの『君と旅立とう』。これをブレナンがイタリア語で真面目にしかも上手に歌うというバカバカしい笑いと同時に歌の持つダイナミックさに底知れぬ感動を覚えるという2つの相容れぬ感覚がぶつかりあいエモーショナルなエンディングを迎える
ブレナンがトラウマと向き合い、立ち上がる。映画の3幕目にぴったりの要素である。
アメリカンコメディの多くはストーリーを完結するに向けて3幕目はしっとりと感動的に終わらせようとしがちある。その分、笑いの勢いは、スローダウンしていく。
しかし、『俺たちステップブラザーズ』は、その法則を逆手に取るようにストーリーが感動的なベクトルに向かっていくのと同時にバカバカしさにもベクトルが向かっていくという離れ業をこのブレナンが『君と旅立とう』を歌うシーンで成し遂げた。
他のコメディ映画でもこのような事が出来た作品はまだない。
Step Brothers Singing Scene HD
このように『俺たちステップブラザーズ』は考察の甲斐がある映画である。
映画に隠された背景や謎を紐解くだけが考察ではないと思う。
※ちなみに『俺たちステップブラザーズ』の背景がないのではない。この作品の背景にあるのは、ブッシュ時代のアメリカ。アダム・マッケイの『俺たちニューキャスター』、『タラデガナイト』、『俺たちステップブラザーズ』のトリロジーはブッシュ時代のアメリカの傲慢さや幼児性、競争主義、男性優位主義をコケにするように作られていいて、アメリカがNo.1だと思っている、バカなアメリカ人を主人公にした一種の風刺映画でもある。
コメディにおける演出や技術も十分考察の対象にはならないのだろうか。
コメディ映画は技術的な部分の多くが見過ごされがちである。
このようにコメディの技術的な部分にフォーカスした考察もたまにはいいのではないだろうか。